山月記の真実〜恐怖!叢に現れた全裸中年男性〜

 叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返しつぶやくのが聞えた。その声に袁傪は聞きおぼえがあった。驚懼きょうくの中にも、彼は咄嗟とっさに思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」[...]

ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

――中島敦山月記

山月記のあまりにも有名な、冒頭の一節である。

 

 

嘘だ。あまりにも嘘だ。このくだりは冒頭にはない。お前たちはインターネットのやりすぎで好きなはずの小説の冒頭の一文すら思い出せなくなってしまった。

そんなはずはない? でも今これを読んでいる君たちは、『山月記』の書き出しなど思い出せなかったはずだ。お前たちにわかる小説の書き出しと言えば『吾輩は猫である』の冒頭の一文程度。ひょっとしたら君たちのうちのさかしらな連中は最後の一文が「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。有難い有難い」であることぐらい知っているかもしれないが、じゃあ本当に君たちはその書き出しと終わりの一文の間にある小説の本体そのもの、本文を読んだというのか? 最初と最後のネタバレだけ知っていて過程のことはひとつも頭にない。君たちの人生とまるで一緒である。

だいたい高校の教科書で習う文章の一番の盛り上がり、サビの一節だけ記憶しておいて義務教育の勝利敗北云々とは腹が痛い。君たちが本当にその時期に授業を真面目に聞いていた学生なら、同じく高校生で習う古典の代表作品『源氏物語』桐壺の巻の冒頭の一文ぐらい誦じられてしかるべきだが、インターネットではもはや古典は死んだ教養と扱われ見る影もない。お前たちが大好きな『山月記』のあらすじそのものが漢籍に端を発するというのに実にお粗末な話だ。

 

とにもかくにも、本当の『山月記』の冒頭の一文はこれである。

 隴西ろうさい李徴りちょうは博学才穎さいえい、天宝の末年、若くして名を虎榜こぼうに連ね、ついで江南尉こうなんいに補せられたが、性、狷介けんかいみずかたのむところすこぶる厚く、賤吏せんりに甘んずるをいさぎよしとしなかった。

――中島敦山月記

漢字がたくさん出てきてかっこいい、ぐらいのことしか君たちの頭には入らないだろうが、この李徴という人物はいいとこの出のエリートでプライドがめっぽうに高い。役人に登用されてからも、自分が下級の官僚ごときに収まっていることに我慢ならなかったという、学校に入ってからの君たちのような生意気な小坊主である。

古代中国の唐代に著され、『山月記』のもととなったことで知られる伝奇小説『人虎伝』では、この部分は次のように描写されている。

隴西李徴、皇族子。家於虢略。徴少博学、善属文。

ろう西せいちょうこうぞくなり。かくりゃくいえす。ちょうわかくしてはくがくぶんしょく

(隴西の李徴は皇族の子孫であった。虢略に住んでいた。李徴は若いときから博学で、巧みに詩文を作った。)

天宝十五載春、登進士第。後数年、調補江南尉。

てんぽうじゅうさいはるしんだいのぼのちすうねんこうなん調ちょうせらる。

(天宝十五年の春、(科挙の)進士に及第した。その後数年、江南地方の県の下級官吏に選任された。)

徴性疎逸、恃才倨傲。不能屈跡卑僚。

ちょうせいいつにして、さいたのきょごうなり。あとりょうくっするあたはず。

(李徴は性格が気ままで人と親しまず、自身の才能を自負して傲慢であった。下級の役人の地位に甘んじることができなかった。)

内容はほぼ同じことを書いているが、中島敦の方はよりこの李徴の紹介、いわゆるイントロにあたる部分をコンパクトにまとめている。また文体もところどころ漢語的言い回しと口語的な語りの言い回しを使い分けてリズムのある読みやすい日本語に仕立てつつ、原文の訓読そのままのフレーズをほとんど残さず、オリジナルの漢語表現を入れ込んでいる。漢籍に慣れ親しんだ書き手であることの証左だ。セリフ部分しか引用できない君たちとは違う。

そう、セリフだ。小説として比べたとき、『山月記』の方はセリフの多さ、もっと言えば李徴の一人語りの部分の長さに特徴がある。考えてみてほしい、お前たちの大好きな「その声は、我が友、李徴子ではないか?」のほかに、『山月記』における袁傪のセリフがあったかどうか。実は存在しない。「我が友」のくだりが唯一、袁傪の言葉としてカギカッコつきで語られる部分で、そのほかはほぼ全て李徴を名乗る声の独白と、あとは「袁傪は〜と問うた、〜した」といった地の文が占めているのみである。

 

記事冒頭でも引用した、声が叢から名乗りをあげる部分の描写を『山月記』と『人虎伝』で比べてみてみよう。

虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、たちまち身をひるがえして、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返しつぶやくのが聞えた。その声に袁傪は聞きおぼえがあった。驚懼きょうくの中にも、彼は咄嗟とっさに思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁傪は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁傪の性格が、峻峭しゅんしょうな李徴の性情と衝突しなかったためであろう。叢の中からは、しばらく返辞が無かった。しのび泣きかと思われるかすかな声が時々れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

俄而虎匿身草中、人声而言曰、

急に虎は身を草の中に匿し、人の声で言うことには、

「異乎哉。幾傷我故人也。」

「なんということだ。もう少しで我が旧友を傷けるところであった。」と。

傪聆其音、似李徴者。傪昔与徴同登進士第、分極深、別有年矣。

傪がその声を聞いたところ、李徴に似ていた。傪は昔、徴と同じ時期に進士に及第し、付き合いはとても深かったが、別れて何年もたっていたので、

忽聞其語、既驚且異、莫測焉。

傪は)突然その言葉を聞いて、驚いたうえに不思議に思って、理解できなかった。

遂問曰、「子為誰。豈非故人隴西子乎。」

そのまま(傪は)尋ねて、「あなたは誰であるのか。なんと旧友の隴西出身の人ではないか。」と言った。

虎呼吟数声、若嗟泣状。

虎はうなり声を数回あげ、すすり泣く状態であった。

已而謂傪曰、「我李徴也。」

やがて(虎が)傪に向かって言うことには、「私は李徴である。」と。

見てわかる通り、『人虎伝』の方が「傪が」「傪は」と袁傪のセリフや、袁傪視点で見た・考えたことを述べる文が比較的多い。また注目すべきは、『人虎伝』の方では叢から声がしてからもはっきりと第三者視点の地の文で「虎は泣いた、言った」と明言されている点だ。このことに注意して『山月記』の記述にあたると、たしかに目の前に姿を現すシーンでは「果して一匹の猛虎もうこくさむらの中から躍り出た。」「虎は [...] たちまち身をひるがえして、元の叢に隠れた。」と「虎」が現れたことになっているが、叢の中から声がして以降の記述には一度も、独白の中で自らをそう呼んでいること以外にはその声の主が同じ「虎」であるということがわかる内容は見当たらない。ただ、「李徴の声」「叢中そうちゅうの声」が語った、と書いているばかりで、この叢の中の声の主の姿がほんとうに「虎」であるかどうかは、誰にもわからないのである。

 

「そんなことはありえない」「考えすぎ」「国語で作者の気持ちを答えすぎた文系の悪い癖」などと浅薄で無器量なお前は鬼の首を取ったようにツッコミを入れてここで読むのをやめたかもしれない。「もし叢の中にいるのが虎でなく明らかに人の様子だったら、声や姿で袁傪が真っ先に気づいているはずだ」「面白い推理だ。小説家にでもなった方がいいんじゃないか?」などと、口角に泡を浮かべてまくしたてながら。

だがしかし、『人虎伝』と『山月記』を比べたとき、『人虎伝』の方にはほかにも、『山月記』の方にはあえて示されていない、叢の中にいるのはたしかに「李徴」の声で物言う「虎」だという状況証拠になる描写が含まれている。

先ほども述べたように、『人虎伝』の方には袁傪視点からの描写、袁傪の声での発話(セリフ)が多く含まれていた点を思い出されたい。

では、袁傪はこの状況をどう見ているのか? ふたつの作品から、袁傪が叢中の自らに語りかける声に対してどのように感じているかがわかりそうな描写を比べてみる。

 袁傪は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、なつかしげに久闊きゅうかつを叙した。そして、何故なぜ叢から出て来ないのかと問うた李徴の声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人ともの前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭いふけんえんの情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人にうことを得て、愧赧きたんの念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今の外形をいとわず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。
 後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受容うけいれて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行をめ、自分は叢のかたわらに立って、見えざる声と対談した。都のうわさ、旧友の消息、袁傪が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それが語られた後、袁傪は、李徴がどうして今の身となるに至ったかをたずねた

地の文が声の主を「虎」とは明示しないように、袁傪視点で書かれたセリフ中でもまた徹底して「虎」「獣」を指すフレーズそのものは避けられていることがわかる。自分が「異類の身(=獣)」であると明示しているのは声の主だけで、その他の文では声の主を指す主語のフレーズは省略されたり、「見えざる声」「今の身」などと婉曲的に示されたりするにとどまる。

旧友を名乗る声が叢の中から聞こえてきたことについては、袁傪視点で「超自然の怪異」という表現が用いられているが、これも人間が虎に変化した、ということを指して「怪異」と呼んでいるのかどうかは定かでない。

袁傪が声の主に声をかける描写でも、袁傪から李徴や虎を指す呼びかけはほとんど出てこない。それどころか、声の主が袁傪に「君」と呼びかける描写は、実に作中全体に七度も登場するにもかかわらず、袁傪は声に向かって「君」とは一度も文章中で呼んでいないのだ。ほんとうに袁傪は、叢に逃げ込んだ虎がしゃべっていて、実はもともと人間の姿をした旧友が変異した存在だという話を信じていたのだろうか。

『人虎伝』の次の描写と比べると、上の描写の奇妙さはさらに際立つ。

傪且問曰、「君今既爲異類。何尚能人言耶。」

傪はさらに尋ねて、「君は今すでに獣となっている。どうしてまだ人間の言葉を使えるのか。」と言った。

虎曰、「我今形變而心悟耳。自居此地、不知歳月多少。

虎が言うことには、「私は今姿は変わっているが、心ははっきりとしている。ここにいるようになってから、どのくらいの歳月が経過したのか分からない。

但見草木榮枯耳。近日絶無過客、久飢難堪。

ただ、草や木が生い茂っては枯れるのを見てただけである。近ごろは旅人の通行も絶えて、長い間飢えていて耐え難かった。

不幸唐突故人。慙惶殊甚。」

不幸にも旧友に不意につきあたってしまった。恥じて恐れるばかりだ。」と。

傪曰、「君久飢。某有餘馬一疋。留以爲贈、如何。」

傪は、「君は長い間飢えている。わたしには余った馬が一頭ある。ここに残していってこれを君に贈ろうと思うが、どうだろうか。」と言った。

虎曰、「食吾故人之俊乘、何異傷吾故人乎。願將反此。」

虎は、「わが旧友の君が乗る駿馬を食うというのは、君を傷つけるのと同じだ。どうか遠慮したい。」と言った。

傪曰、「食籃中有羊肉數斤。留以爲贈、可乎。」

傪は、「食物を入れる竹のかごの中に羊の肉が数斤ある。ここに残していってこれを君に贈ろうと思うが、(これなら)よいだろうか。」と言った。

曰、「吾方與故人道舊。未暇食也。君去則留之。」

(虎は、)「私はちょうど今、旧友と昔話をしているので、食う暇がない。君が去るときにそれを置いていってくれ。」と言った。

清々しいほどの獣扱いだ。「君は獣になってしまった」と口にして受け入れるばかりか、馬一頭、それが駄目ならおそらく生の塊肉の羊を地べたに置いていくから食えと言ってのける袁傪である。これでもし「この声の主は虎だと言っているが、ひょっとして虎ではないのではないか」と思っていたら、そうとうに性根が曲がっていなければできない仕打ちと言えよう。やはり『人虎伝』の袁傪は、虎の姿をしたかつては人間の姿の旧友が叢にいて何の因果か自分と巡り合ってくれた、そう信じて疑わないのである。

しかるに、『山月記』においては、地の文の語り手も、袁傪においてすら、叢の中に李徴を名乗る虎がいたということを事実として語ろうとはしていない。それはなぜか。もし叢の中にいるのが声の主の言うとおり虎ではなかったとしたならば、そこにはいったい何がいたのか。

 

山月記』の冒頭で、李徴の人物紹介に割かれていた部分は、次のように締めくくられて場面が展開する。

 数年の後、貧窮にえず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、おのれの詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既にはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙しがにもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才しゅんさい李徴の自尊心を如何いかきずつけたかは、想像にかたくない。彼は怏々おうおうとして楽しまず、狂悖きょうはいの性は愈々いよいよ抑えがたくなった。一年の後、公用で旅に出、汝水じょすいのほとりに宿った時、遂に発狂した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、やみの中へ駈出かけだした。彼は二度ともどって来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、だれもなかった。

挫折してプレッシャーと自尊心に苛まれ、狂った李徴はなにかに追われるように山中の方へ逃げ、行方不明になってしまうのである。この翌年、袁傪はあの「虎」が出た道で、叢中の声の主と出会うことになる。その声は言う。

 何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようにれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、おれは努めて人とのまじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それがほとん羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間にすることもいさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。おのれたまあらざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦してみがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとしてかわらに伍することも出来なかった。おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもん慙恚ざんいとによって益々ますますおのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

「李徴」であり「虎」だというその声は、おのれが「虎」になったのは、人間のころから自分の本性が「獣」であり「虎」だったからだという。冒頭で述べられた紹介とほぼ同じことを振り返り、だからこそ自分は「虎」になる運命だった、宿業のようなものだと結論づけるのだ。

山月記が毎年ひそかに、「現代文は得意」とかのたまうタイプの優等生のこころにちいさな傷をつけ、共感を得つづける国民的な作品たる所以は、この独白の差し迫った悲痛さに通ずるところがあるだろう。『人虎伝』の方の李徴は、これまでとは違ってより同情しづらい深い業を抱えている。

傪覧之驚曰、「君才行、我知之矣。

傪はこれを見て、驚いて言うことには、「君の才知と品行について、私はよく知っている。

而君至於此者、君平生得無有自恨乎。」

しかし君がこんなことになったのは、君が普段から自分自身で残念なことがあるのではないだろうか。」と。

虎曰、「儀造物、固無親疎厚薄之間。

虎が言うことには、「陰と陽の二つが万物が創造することについては、もともと親疎厚薄の隔たりなどなかったであろう。

若其所遇之時、所遭之数、吾又不知也。

その出会う時代や、巡り合う運命などのようなものは、私はまた知るよしもない。

噫、顔子之不幸、冉有斯疾、尼父常深歎之矣。

ああ、顔回の不幸(=早死)、冉有の病気などを、かつて孔子は深く嘆いたのだった。

若反求其所自恨、則吾亦有之矣。

もしも自分自身で悔やまれることを振り返って考えるならば、私もまた思い当たることがある。

不知定因此乎。

きっとそれに起因するに違いない。

吾遇故人、則無所自匿也。

私は旧友に会ったのだから、何も隠すことはない。

吾常記之。

私にはずっと記憶していることがある。

南陽郊外、嘗私孀婦。

南陽の郊外で、かつて夫に先立たれたある女性と、ひそかに交際していた。

其家窃知之、常有害我心。

その家族がひそかにこの事を知り、いつも私の邪魔をしようと思っていた。

孀婦、由是不得再合。

その女性は、こういうことが原因で、再び会うことができなくなった。

吾因乗風縦火、一家数人、尽焚殺之而去。

私はそこで風に乗じて火を放ち、その一家数人を、全員焼き殺して立ち去った。

此為恨爾。」

このことが残念でならない。」と。

まさかの浮気相手の一家丸焼き皆殺しの過去を背負っていた。孔子なんかを引っ張って並べてきてさも自分も同じように「残念だ」などと感じ入っているが、堂々畜生堕ちも妥当の所業である。よもやこれほどの罪を李徴が犯していたというくだりが『山月記』にもそのまま書かれていたならば、あるいは今ごろ毎年何万という高校生が自分と「虎」や「李徴」の生き方とをいっちょまえに重ね合わせ、感傷めいた共感を抱くことにはなっていなかったかもしれない。

 

ともかく、錯乱して逃げ隠れた李徴がいなくなって一年の出来事という設定は『人虎伝』『山月記』ともに共通している。もし『山月記』で袁傪が出会った声の主が虎ではなかった、あるいは虎であるという確証が持てなかった理由があるとしたならば、叢の中からした声はいったいなんだったのか? 可能性はいくつか考えられるだろう。

一つ目の可能性として、叢の中にはたしかに李徴がいてかつての友に話しかけていたというもの。しかしその李徴は虎になどなってはいない、人間の姿のまま。それも、一年前に狂って人里を飛び出し、山で野生に回帰しサバイバルを続けてきた人間の姿。きっと衣服は擦り切れてほぼ裸のまま、彼自身が独白で回想しているように、本能的に目の前に現れる兎などの小動物を「狩り」ながら生き延びてきたに違いない。

自分はぐに死をおもうた。しかし、その時、眼の前を一匹のうさぎが駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血にまみれ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心がかえって来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語もあやつれれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書けいしょの章句をそらんずることも出来る。その人間の心で、虎としてのおのれ残虐ざんぎゃくおこないのあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、いきどおろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少してば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかりうもれて消えてしまうだろう。

彼はそのような醜い本能や狂ってしまった自分の行動から自分の精神を守ろうとして、自分は本当に虎になってしまった、とあるとき信じ切ってしまったのかもしれない。しかし、袁傪の目からは、そのようにかつての姿のまま変わり果てた友人の姿はいったいどのように映っただろう。

あるいは、そもそも叢の中の声は袁傪一行が錯覚して聞いた幻覚のようなものだという可能性もある。袁傪は失踪してしまった友人のことを気にかけ、いま一度会話を交わしたいとは思っていたのかもしれないが、心のどこかで、李徴はもう無事ではないだろうと信じるのは彼の失踪の経緯を考えても当然のことだ。そんな袁傪にとってみれば、自分はかつての「李徴」で、いまは「虎」になってしまった、と訴えかけるその声は、自分の希望的観測である願いを叶えるものではありながら、「なぜ生きていたのか?」「人間が虎になどなるものか?」という二重の奇妙さを感じさせるものだ。だとすればその声は袁傪にとって信じがたい「超自然の怪異」と呼ぶべきものであり、声に向かって「虎」とも「君」とも呼びかけることができなかった理由にも一応の説明はつく。

袁傪の視点から見て考えられるもっと恐ろしい可能性は、その声が李徴のものでも、自身の妄想によるものでもない、第三者による声である可能性だ。その声は自分を隴西の李徴であると言った。そして自分に向かって旧友と呼んだ。「青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で」、それは自分たちの昔の話をし、今や監察御史の地位についた自分の近況を知った。けして生前気の置けない味方や友を多く作らなかった李徴と自分の関係についてこれほどまでに詳しく知っている、目的のわからない「何か」が、叢の中にいる。それがもはや人であるか獣であるかは関係ない。いったいあのとき、叢の中にいたのはなんだったのか。